2012年9月29日土曜日

辰野金吾 辰野堅固 東京駅設計 レンガ好き 泉谷しげる好演 100年の大計

辰野金吾  辰野堅固  東京駅設計 レンガ好き 泉谷しげる好演 100年の大計

戦前の東京駅
戦後改修前の東京駅
アハ!体験!
・戦前は総三階建て→戦後二階建て
・戦前円筒状ドーム→戦後四角形

設計したのは辰野金吾
東京駅を造るとき、当時アメリカで流行の鉄筋コンクリート造りを廃し、従来の鉄骨レンガ造りを貫いたそうな。
ついた別名が
辰野堅固

でも、竣工して数年後にやってきた関東大震災にもびくともしなかったらしい。
震災直後の東京駅


関東大震災にもびくともしなかった東京駅は空襲で三階部分とドームが損傷
それで上記戦後改修前の写真のやうに二階建てになったのですね。

これを平成大改修で往時の姿にほぼ復元
泉谷しげる演じるこの辰野金吾
側のレンガだけではなく地下にも1万本以上の木製杭を打って地震に備えたことが平成大修理で発見されたとか。
今回の改修も基本は当時の鉄筋とレンガをそのまま使ってるんですから、明治人はまさに100年スパンで仕事をしていたのですね。

はじめ見たときはおかしなおっさん程度しかおもっていなかった泉谷しげる。名優の部類に入ってきました。
照れちゃうよ

大阪を代表する中央公会堂
これも辰野設計だったのか!
へーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ちなみに昭和一桁竣工鉄筋造り大阪城も公会堂もあの大阪大空襲で焼け残りました。
大阪城上空(右舷エンジン下四角状=大阪城)を飛ぶB29

焼け残った心斎橋大丸(右)・そごう百貨店
大阪駅は・・・
焼け残りました。

百貨店といい、駅といい、大阪城といい港湾施設(ほぼ無傷)といいアメリカ軍は戦後上陸したときのことを考えてわざとはずしたのかもしれません。

最後にあの大停車場を設計した辰野の初めて駅舎設計作品をご紹介してペンを置きまする。
大阪南海電鉄浜寺公園駅